【London留学】イギリスじゃなくてカナダ? さあ、出発!
目的地は「ロンドン」。といっても、あのイギリスのロンドンではなく
カナダ、オンタリオ州にあるロンドンです。
人口は約40万人、トロントやバンクーバーほどの大都市でなく、森や自然が豊かな街。
わかりやすく言えば「田舎」。
治安は比較的に安定しており日本人もほとんどいないというのが、この街での留学を決めた理由。
地図を見ると一目瞭然で、カナダの南部に位置しているので、位置的にはもはや「アメリカ」。
「五大湖」に囲まれて「ナイアガラの滝」などの観光地にも近く、留学するにはとても良い環境なんです。
ここから、私の留学がスタートしました。
しかし、描いていた留学があんなことになるなんて…
その時は予想もしていませんでした。
体験記のはじまり~はじまり~
【最後の晩餐はそれ?】出国前の食事選び
出発の数日前からアレを食べておきたい、コレは前日に食べておきたい、と私の「最後の晩餐選び」が始まりました。
長い間、当たり前と思っていた家での食事がこんなに尊く感じたのは初めてでした。
そして、本当の「最後の晩餐」は成田空港のレストラン。
そこで私が選んだメニューは意外にも「そば」。
理由はただ一つ。緊張と不安で食欲がなかったのです…
そんな不安が離陸直前の私に、マイナスな気持ちを持たせてしまったのです。
- 飛行機遅れないかな…
- やっぱり留学やめたいな…
- 何で留学なんて決めたんだろう…
当然、そんなことは恥ずかしくて言るはずもなく、当時の私は「後ろ髪を引かれまくって」ひきつった笑顔のまま搭乗口へ向かいました。
振り返ると笑い話ですが、当時は本当につらかったです。
日本を離れるって「予想以上に勇気がいるんです」
でも、その気持ちが留学へのスイッチを入れてくれたんだと思います。
飛行機乗るなら【寝不足】がベスト?
1997年4月20日、午後3時50分
成田発→トロント行きの飛行機に搭乗し、最終目的地のロンドンに向かいました。
所要時間は約12時間。
緊張と不安のせいで結果的に私は12時間ずっと起きていることになりました。
時間を潰すための準備はしっかりしてきたつもりでしたが、持参した「雑誌」「イラストロジック」「スポーツ新聞」は2時間もすれば飽きるし、「機内の映画」も全く興味のないジャンルばかりでガッカリでした…
一番の失敗は、首を固定する「ネックレスト」の存在を知らなかったこと。
これは最大のミスでした…
ふと横の人に目を向けると「ネックレスト」をしてすやすや寝ていましたが、私はまるで電車で見かける首を前後に「カックンカックン」している人。
さらに、前日にしっかり睡眠をとってしまい、疲れていなかったので、結局12時間寝ずに起き続けることになってしまいました…
そんな機内での12時間、「突然の鼻血がなんと3回…」
手持ちのポケットティッシュはなくなり、手を挙げて何度もCAさんに「ティッシュ要求…」本当に恥ずかったのを覚えています。
飛行機搭乗日の朝はいつもより早めに起きて、就寝タイムが早くくるようにするのがポイント
多少疲れてくらいでもイイかも? 寝られないのが本当にツライ
- ネックピロー(空気で膨らませるやつ)
- アイマスク(つけると安心)
- 耳栓(就寝用)
- フットレスト(足のむくみを改善)
- フライトシート(腰痛対策)
- 携帯スリッパ(機内の移動用)
- 歯磨きセット(さっぱりしたい時)
- リップクリーム(乾燥対策)
- お気に入りの飲みもの(安心感)
- お気に入りの食べもの(小腹が減った時用)
美人キャビンアテンダントと何度も【にらめっこ】
3度の鼻血が落ち着いたころ、4度目の鼻血が…!。
飛行機の座席列を知っている人はわかると思いますが、出入り口に近い座席は通路があるため前の座席がないんです。
「足を延ばしてゆっくり過ごせる!」と思ってその座席を予約したのが結果的に失敗でした…。
なぜなら、CAさんと真向かいになってしまうのです。
気流の変化などで機体が揺れるとCAさんも自分の席につきますよね。
その都度私はCAさんと顔を合わせることになるんですが「3連発の鼻血」をかまし、介護された私にとっては、それはまるで「にらめっこ状態」。
素敵なCAさんに目線の置き場に困ったのを今でも覚えてます。
ちなみに4度目の鼻血は不発に終わってこれ以上の失態はありませんでしたがなぜあんなに鼻血を連発したのか?今でも謎です…
座席選びは慎重に。搭乗前に勝負は決まってます。
長時間フライトであれば「中央ブロックの通路側」がオススメ。
横に誰もいなければあなたの席としてつかえます!
国内線の乗り換えは「ヒヤヒヤもん」
人生初の長時間フライトを無事に終え、12時間ぶりに開放されました。
この時の解放感はとても爽快で、今までに味わったことのない感覚でした。
でも、そんな解放感は一瞬で消え去りました…
「人が凄い少ないけど、乗り継ぎのゲートってあってる…?」
「預けた荷物は大丈夫…?」と不安でいっぱいになりました。
意を決して空港職員に聞いて乗り継ぎゲートに向かいましたが、そこで待つ飛行機は今まで乗ってきた飛行機とは比べ物にならない小さなプロペラ機だったのです。
一旦地上に降りてタラップを上がって搭乗するタイプ。
タラップを上がって行くと狭いコックピットが見え、機長とチャラそうな副機長が楽しそうに話していました。
この人達で大丈夫?操縦できるの?と、とても不安でした。
空港職員によると荷物は問題なく飛行機に積み込むようでしだが、機内から外を見ていても私の荷物がなかなか現れないんです…
「もしかしたら、違う飛行機に荷物が行ってしまったのか…?」と不安は最高潮になったその時、なんと作業員が私の荷物を放り投げていたのです!
「おー--い!」一瞬イラつきましたが、不思議と荷物を確認できた安ど感が勝って、今までの緊張が一気にほどけました。
さあ、あと30~40分のフライトで目的地の「London」。
スーツケースなど預ける荷物には「ド派手」な印をつけるのがオススメ。
そうすれば、間違えて持っていかれる危険を最小限にできます。
お気に入りのシールを貼ったり、バンドで固定したり!
ついに現地到着!!【えっマジで?そんなことある?】
小さく安心感のないプロペラ機に搭乗し、スゴイ騒音と振動の中、離陸。
窓の外を覗くと、どこまでも続く一直線の道や牧草地帯や森林。
予想はしていましたが想像を超える「田舎さ」に驚きました。
機体が安定したと思った矢先、かっぷくの良い男性CAさんがパックのオレンジジュースと紙コップを握りながら、ゆっくり近づいてきたました。
正直、なんか怪しい…というより、なんや「やりそう…」という感じ。
そんなCAさんのお腹と通路がぶつかり合って「ハアハア」言いながら私の横で止まったのです。
愛想よく満面の笑みでオレンジジュースを入れてくれたまでは良かったのですが、注ぐ勢いが強かったせいか、初めの半分が私のズボンを直撃…びしょ濡れに。
沢山の紙おしぼりで拭いてくれ、凄い申し訳なさそうにしていたので何事もなかったように許すことにしました。
その時、さっきまでのジャンボ機での時間をとても懐かしく感じてしまいました…
「ポン」と機内音が鳴り最終着陸態勢に。
そして「ドン」という音を立てて小さいプロペラ機は無事にLondonに到着しました。
時刻は同日の午後3:00。
飛行機に乗るといつも感じることですが「着陸」は本当に安心します。
飛行機は安全とわかっていますが着陸し「地上」を感じるまで気が抜けないのが本音です。
搭乗者が少ないので、荷物を受け取る回転する「アレ」は1つしか回っていません。
ガラガラと音を立てながら、十数時間ぶりに私の荷物たちがレーンに流れてきました。
不眠や鼻血と戦った私の長時間フライトがようやくここで終わりました。
入国手続きは「えっ?」っていうほど簡単に済み、待ち合わせしているホストファミリーの元へ急ぎました。
「どんな人なのかな?」
「第一声は何て言おうかな?」
とワクワクしながら空港の自動ドアを出ましたが、そこには誰もいない。
……………………
まさか、空港が違う!?
日にちが違う!?
15分、いや20分は待ったのですが、空港の待合場所には誰も来る気配がないんです。
日本人どころか、そこにいるのはわたし一人。
乗り継ぎでのヒヤヒヤなんて比較できないくらい焦りました。
携帯電話があれば簡単なのですが、当時はそんな便利なものがなかったので「待つしかありませんでした」
30分くらいすると、遠い向こうから一台の車が空港へ向かってきたのです。
そしてその車はわたしの前で止まり、「ごめーん、遅れちゃった」とたどたどしい日本語で話しかけてきた人こそ、
今回のホストマザーのCさんです。
カナダに渡って30年、カナダ人の旦那さんとくらしている遠い遠い親戚の女性のCさんは、もはや「カナダ人」。はじめは日本語で話していても英語の方が話しやすいので会話はもっぱら英語。
この時、このあと訪れるCさんとの生活が「超スパルタ」だとは予想もしませんでした。